私、高木は岐阜県の天下分け目の関ヶ原の戦いで有名な関ヶ原町で生まれました。
父親は24歳、母は22歳と若く、今なら本当に大丈夫なの?と言われそうな感じだったみたいですね。
なんせ、父は私が生まれる1年前にサラリーマンが嫌になり、全く経験もないのに飲食店を始めてしまいうのです。
今ならありえない!普通なら父みたいな男との結婚には絶対に周りは反対するでしょうが、人間何かとりえがあるもので、父は私とは正反対でとにかく口が上手く、人を取り込むのに長けていたのでしょうね。
なんせ昔は町長選挙で勝ちたければ高木さんに頼め、と言われていたぐらいですから。
しかし、母に言わせるとあの人は詐欺師、ペテン師のたぐいなんですって(笑)
そして、これからこの父親に半生を振り回されることになろうとは…
幼少期の私はとてもやんちゃ坊主でした。
そして好奇心旺盛で、最初に車を動かしたのは、なんと3才のとき。
親が運転するのを観察していたのでしょうね。
キーを持ち出し店の駐車場に止めてあった親の車の運転席に着席、キーを差し入れ、エンジンをかけ、短い脚を伸ばしアクセルをふかします。
しかし、車はギアを入れないと動きません。
人の姿がないのにエンジン音がして排気口から激しく煙が出ているのをお客さんが発見し、私の親に知らされ、あえなく御用!
しかし、それにも懲りずに今度は数か月後、父の実家の車で再チャレンジ、今度は知恵がついていたのかサイドブレーキもはずし車は動いてしまいます。やったー!動いたと思った瞬間、駐車場の壁にぶつかりあえなく停車、わずか30センチほどの短いドライブでした。
幼いながら、叔父の車をぶつけた罪悪感があったからか、それから成人して免許を取るまで運転することはありませんでした(笑)
小学生になっても高木くんの破天荒ぶりは相変わらずで、体育の時間に消えることが多かったらしく、先生が探しに行くと田んぼに入って1人でカエルをつかまえていたり、時には学校の池にいる亀の甲羅をたわしで洗っていたり(意味が分からん!)、担任の先生もかなり手を焼いたらしいですね。
先生、すみませんでした!
しかし、小学校3年生になるころには高木少年はガラリとおとなしくなります、それは、2年生のときに起こったある事件がきっかけでした。
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