アメリカ留学も1年が過ぎ、ネイティブや他の留学生とも仲良くなってきた頃、たくさんの友達の寮生が寮生活を卒業し一人暮らしを始めました。
自分も友達の自由な暮らしぶりが羨ましくなり、学校から少し離れたところにアパートを借りて一人暮らしを始めました。
安い中古のアメ車もゲットし、この頃は本当にアメリカ生活を楽しんでいました。
週末には友達とシカゴやインディアナポリスなどの大きな街に遊びに行ったりしていましたが、行動範囲が広くなったのは良かったけども都会の方に行って危険な目にも逢いましたね。
一番危険だったのが、シカゴに遊びに行った帰りでした。
ガソリンスタンドに寄り給油を終え、自販機でコーヒーを買い車内で飲んでると自分の車の真横にボロボロのキャデラックがラップミュージックをド派手に鳴らしながら止まりました。
そして最初に後ろに乗っていた15歳ぐらいの少年が勢いよくドアを開け、自分の愛車にドン†!とぶつけてきました。
しかも、謝りもせずシカト†
ムカついてパワーウインドウを開けて文句を言ったら、多分運転席に乗っていたのは兄貴でしょうか?
暴言を叫んだあと、ダッシュボードからピストルを取り出し車から降りてきました。
「ヤバイ~† 逃げろ~†」助手席の友人が叫び、気が付いたら車を急発進させてアクセルべた踏みでハイウェイを猛スピードで逃げていました。
それから、二度とヤバそうな人には近づかないようになりました(笑)
そんなことが何回かありながらも卒業が近づいてきました。
自分としては4年制の西海岸か東海岸の学校に編入するつもりでしたが、友人が日本から送ってくれた1本のビデオテープが私の進路を大きく変えてしまいます。
送られてきたビデオには「料理の鉄人」が収録されていました。
料理人同士が格闘技のようにスタジアムで戦う様には衝撃を受けました。
また、鹿賀丈史の司会もいい味を出していましたね。
1回見ただけで番組の大ファンになってしまい、友達にねだって日本から毎月ビデオテープを送って貰いました。
中でも最強の鉄人、道場六三郎には度肝を抜かれました。
どんな不慣れな食材でも立派な和食に変化させてしまうズバ抜けたスキルと料理センス、フレンチやイタリアンのシェフではいい戦いをした人もいましたが、日本料理では圧倒的な差が。
しかし、金沢の有名料亭の若主人がアンコウ対決でこの最強の鉄人を苦しめます。
彼は当時、若干28才、しかし、その戦いでは19対20で点数では敗れはしましたが審査員は皆が彼の料理を絶賛していました。
そして、いつしか4年生の学校に編入しようという気はなくなり、料理の世界に飛び込む決意をしていました。
そして、あっさりと学校を卒業すると日本に帰国してしまうのです。
帰国するとすぐに、その金沢の有名料亭にダメもとで、修行させてもらえないかと電話してみましたが3年先まで修行する方が決まっているとのことで断られてしまいました。
しかし、それから1週間もしないうちに奇跡が起きるのです。
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