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今昔物語 高木裕司 VOL.9

今昔物語 高木裕司 VOL.9

修業も順調に進み、料理人としての将来を夢見ていた高木でありましたが実家の父親からの1本の電話がその夢を打ち消してしまいます。

その電話の内容とは「新しく店を出すからなるべく早く帰ってこい。」というものでした。
ウソだろ††もう少しで煮方に昇格なのに!

父親には自分はまだ十分な準備が出来ていないと言いましたが、全く相手にしてもらえず、私の知らないところでもうすでに話は決まっており、もう後戻り出来ないとのことでした。

仕方なく、5年で修業生活にピリオドを打つことになってしまいました。
直接の師匠である若主人には辞める時に「おまえは味覚がいいから頑張ればトップレベルの料理人になれると思って楽しみにしていたのに残念だ。」と言われました。
この時の悔しさは今でも忘れられませんね。

しかも、父親のその新店というのは私が勉強した料理とはほど遠く、昼は定食屋さんで夜はワタミみたいな居酒屋スタイル。

しかも駐車場30台、客席130席の大型店、そして父親にはお前には店長をやってもらうと言われ、店が大きいから料理人は雇うからお前は厨房には入らずホールで接客しろと言われ、慣れない接客係になりました。

しかも、スタッフは大多数が素人で父親が全員ハローワークで緊急招集した新人†ありえない!研修に1カ月使いましたがそんなお店が上手くいくはずがありません。

そのうえ雇った料理長は厨房の掃除もしない怠け者で料理は出てこない、異物混入はしょっちゅうで毎日がクレームの嵐でした、故にお客様によく怒鳴られていました。

社長である父親にはこんなことではダメだと何度も言いましたが、改善する気はなく店の売上はおのずから落ちてゆきました。
しかし、お金が回らなくなるとそんな意地も張れなくなり、結局、その料理長を外し私が店長と料理長を兼務することになりました。

数か月経つと売り上げはかなり回復しましたが、私の方は店の激務と父親からの精神的ストレスで体が悲鳴を上げていました。
なんとか1日も休まずにやっていましたが、今考えると完全に自律神経失調症でしたね。

そして、結構長く営業しましたがその土地のオーナーと家賃のことで折り合いがつかなくなりこの店は閉店することになりました。

そして長い間、父親と仕事をしているうちに料理への情熱や思いは枯渇してしまい、やめて新しい仕事をしてみたいと思うようになっていました。
それが整体だったのです。

きっかけは、料理人時代に腰痛がひどく整形外科に行っても治らなかったのが、知り合いの整体師の先生のところにいったら魔法をかけられた様に治ってしまったことでした。
そのときの私には、その先生が神様のように見えて整体師って凄い仕事だなぁ†と思ったことですね。

それから整体学校に通って名古屋の整体院で働いたあと、健療施術院の整体師になったのです。
今では整体が生涯の仕事だと思えるし毎日がすごく充実しています。
しかし、それは苦しかった時代があったからかもしれないと最近思うようになりました。

今回、自分の半生を文章にすることに最初は戸惑いましたが、過去を振り返ることでこれからの残りの人生を歩む上でとても為になったような気がします。
ここまでお読みいただいた方、このようなチャンスを与えて頂きました健療施術院に心から感謝しております。

~完~









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